シブマガ Vol.1 掲載 | 渋家七代目代表 ちゃんもも◎インタビュー - この人のために死んでもいいって思える相手、それが渋家にはいる -

文=KEITA SAITO + EDIT451 撮影=石田祐規

2014.04.15


4月8日、渋家の七代目代表に、ちゃんもも◎が就任した。ちゃんもも◎が初めて渋家を訪れたのは3年半前、その日から今回、代表に就任するまでの間、ちゃんもも◎と渋家とは、いったい、どんな関係だったのか―― 。その間には、本当にさまざまなことがあった。アートと出会い初めて作った作品「THIS IS ART」への誤解、立て続けに起きた両親の死、「テラスハウス」出演直前のメンバーとの大喧嘩……。渋家は、過去に誤解された自堕落的な集まりではないし、決して、疑似家族的な友愛だけの集まりでもない。渋家と出会ったことで、竹内桃子はいかに、ちゃんもも◎になったのか―― 。初めて渋家を訪れた日から現在まで、すべての思い出を語る。



ーー 「テラスハウス」で、初めてちゃんもも◎を知った人は、ちゃんもも◎と渋家が、どういう関係なのかよく分からないと思うのですが、渋家に初めて来たきっかけは、なんだったんですか? 


「その頃、渋家によく遊びに行ってた友達がいて、その子に『渋谷にすごくおもしろい家があるよ』って誘われたんです。ももは渋家の存在を全く知らなかったんだけど、行ってみようかなって。それで行ったら、ちょうど渋家が3件目の家に引っ越した次の日で。家中に作品が展示される『渋家トリエンナーレ』というイベントが開催中で、超でかい顔が飾ってあったり、壁中落書きだらけだったり、もうやばいみたいな。ヴィレヴァンに置いてある小説にでてくるようなところが本当にあるんだって驚いた。それで『もう今日から住みます』って言ったの。行った日に住むって決めた。そしたら逆に『考えたほうがいいよ』って言われたんだけど『いや、大丈夫、大丈夫』って、そこからずっと」


―― それで、その日から住み出したんですか。すぐに馴染めましたか?


「そのときのももは、派手なリア充みたいな格好で生きてたんだけど、もともとの趣味はすごくサブカルが好きで、渋家の本棚にはももが持っている小説がいっぱいあって、ここにいる人とは価値観が共有できそうだと思ったので、すぐ馴染めたというよりは荷物を日に日に増やして居座りはじめたという感じです」


―― その頃のメンバーで現在もいるのは、渋家発起人、齋藤桂太=けいた、2代目代表・山口季邦=としくに、当時の代表である3代目代表・増沢大輝=たいき、次の4代目代表となる加治屋文晶=じやぴん、そのほか、1stメンバーの小池将樹=やばお、石田祐規=ゆうきですが、そのメンバーとの関係はどうでしたか?


「けいたは、猫が亀甲縛りにされてる趣味の悪いストラップをつけていて、それで、髪もやたらと長くて、こいつ危ないって思った。最初は、勝手に怯えてた。としくにはお互いお笑いが好きっていうの話題ですぐに打ち解けて、やばおはいつも家に居て話しかけやすくて最初に仲良くなった。その頃、じやぴんとゆうきは働いていたからあまり喋ってない。そのときの代表だったたいきは物腰が柔らかくていちばん喋りやすかったな」



3rdハウスを炎上させた

ちゃんもも◎拡散画像の真意 


ちゃんもも◎が訪れた、渋家の3件目となる家・3rdハウスへ引っ越した時期は、渋家の大きな転換期だった。2ndハウスまでの渋家は、今と比べると活動は乏しく、活性化するきっかとなったのは、2ndハウスに巨大な布をかける作品を作り、騒ぎとなり、家を追い出されたことだった。家を失った当時のメンバーは一時ホームレス生活を余儀なくされるまでの窮地に追い込まれるが、この行為が異端の存在としてメディアに取り上げられたことが後押しとなり、逆境をはね除け3rdハウスへの引っ越しを果たす。さらに話題は広まり続け、外部の展示やイベントに声がかかるようになると、今まで、遠目に見ていたChim↑Pomやカオス*ラウンジといった、自分たちと同世代のアーティストが、リアリティを持って近づいてきた。3rdハウスには、ちゃんもも◎のほか、5代目代表となる菅井早苗、Maltine Recordsのtomadなどが加入し、こうした新メンバーが起爆剤となり渋家の進撃ははじまる。



―― 渋家は3rdハウスに引っ越してから急速に活動が活発になっていきますが、ちゃんももがはじめて関わった活動は何ですか?


「あれじゃないかな『鬼盛りブートキャンプ』、入って1カ月とか。それは1部屋を使ったインスタレーション作品で、渋家全員で、ちっちゃい部屋を完全にデコって、そのなかに、ホスト時代のじやぴんの写真と、ももと、もう1人女の子がデコった写真を置いたりとか、髪の毛を美容室で盛ってもらって、化粧バチバチにして撮ったプリクラを大きく拡大した物を作品として出しました」


―― 入って1カ月で作品を作ったんですか。それまで人に見せるものを作ったことはあったんですか?


「もともと、14歳からグラビアアイドルをやっていて、ももがグラビアをやってたのは、グラビアをやりたいからじゃなくて、自分がなにかを発信したいからやっていたわけ。でも、グラビアではいくら続けても売れそうにないし、やりたいことができないと思って、めちゃめちゃ悩んでたの。それで、なんで、渋家に住むだけじゃなくて活動に関わりたかったかというと、そのときに現代アートは、やっとみつけた自分を表現できる場所だって感覚だったの。これだったら、ももも目立てるわみたいな。だから、発信するっていう意味では、ずっとやってきたけど、もの作りってのは初めてでした」


―― はじめて作品を作ってみて、迷いはなかったですか?


「アートは余裕っていう、そのときの渋家の流れがあったから、迷いはなかった。その頃、『○○なう』とか『○○した』って書いたあとに、ツイッターのハッシュタグで『#アート余裕』って付けるっていうのが流行っていて『コンビニでアイス買った#アート余裕』みたいな。全てはアート行為だと主張できるっていう面白半分の風潮があった。だから、ももは自分のやっていることは、ずっとアートだと思ってたし、全部、アートになるって、マジで現代アートって楽勝すぎるわーっていう、そういうテンション、そういう雰囲気だったのね。あの頃の渋家は、アートに寄ってたよね。それで展示が決まって、そのとき、はじめて自分でつくりたいって思って、とにかくアートのことをわかるようにならなくちゃ、この人たちと話すことがないみたいな感じだったから、あわてていっぱい勉強して、ももはハウスに来て、とりあえずChim↑Pomとカオス*ラウンジを押さえました」


―― そのほかには、どんな作品をつくりましたか?


「『わたし今からアート余裕の作品つくるわ』みたいな感じで、ももが上裸になって、菅井早苗に亀甲縛りにしてもらう『THIS IS ART』っていう作品を作った。あれ、ネットに出回っている写メじゃなくて、ほんとは、印刷所でプリントして、菅井が文字を入れて加工してみたいな、ちゃんとした1枚の作品なの。コンセプトもちゃんとあって、どこに向けていいかわからない表現欲求みたいな。それが亀甲縛りであり、口にガムテープを貼ってることで、ももはそういう気持ちでつくったの。表現難民です、みたいな。それを渋家の廊下に貼って展示してた。あとは人の展示に乗り込んだり、そういうことがいっぱいあった」


―― 『鬼盛りブートキャンプ』に参加したことでメンバーとの距離は縮まりましたか?


「仲間意識は高まったけど、まわりの態度は、そんなに変わってない。まだ、ももがずっと渋家にいることになる人物とは思われてない、っていうのは感じてた。それが悔しかった。ももはそのときにはもう渋家にとって重要な人間だ、みたいな気持ちになってたから、早く主要メンバーに認められたかった」


―― では、そのあと、どういう行動をしたんですか?


「引っ越しの前ぐらいじゃないかな、ももはそこらへんから渋家の看板をとりたいという意識がすごくあって、自分に出来ることって、それなんじゃないかって勝手に思って、だけど、それを認めてくれようとしてくれる人と、そうじゃない人がいた。中でも創設者であるけいたにはそこまでじゃないと思われている、という感覚が強かった、それで、泣きながら、言葉は覚えてないけど『お前は、ももの才能をわかってない。ももはこんなにマジなのに、ももは渋家でやっていこうと思ってるのに、なんで認めてくれないの』って、それから、としくにも来て『いや、そういうつもりじゃなかった。期待はしてる』みたいな。『ももはそういう気持ちでやってるんだよ、わかって』っていう話をしたんだ。というのも、そのときは渋家にはメンバー全体で行う会議がなくて、当時で言うところの主催メンバーだけで定例会議が行われていたから、そこに入れていなかったももとかには、重要な話を教えてくれないの。会議中とかは、こっちは家に残されるわけじゃん。残されてる側は辛かったというか、悔しすぎたね。そういう話をしてやっとこさ、引っ越しのタイミングで一丸となる時が来たっていう」


―― 3rdハウスは、アートのほかに家をクラブ化する「house nation」などが行われていますが参加していましたか?


「ももは毎回いたし、楽しみにしてた。昔は、今よりも音楽やクラブが大好きだったの。その頃、六本木のクラブにめっちゃ行ってて、そういう遊びが家でできるっていうのが、めっちゃ楽しくて、DJ来て、お酒があって、人が集まって、踊れてみたいな、それで、そのまま寝れるとか最高じゃん。お金かからないし」


―― その頃から、今の4thハウスの「クヌギ」にあるレーザーやスモークの演出はあったんですか?


「いや、DJと、あと渋家のおっきいロゴを壁にはめ込んで、渋家マーク、DJブース、その後ろにLEDのピカピカがついてるクリスマスみたいな部屋で、そういう質素なものではあったけど、3rdハウスの手作り感は、色々とやばかった。感動する部分もあったくらい。壁の防音も発泡スチロールだったから、みんなで発泡スチロールをカッターで切って、はめ込んでみて『ちょうど、はめ込めた!』とか言って、外に出て音が漏れてないかチェックするんだけど、がんがん漏れてて、まあ、いっかみたいな。いま思うと小っ恥ずかしいけどね。3rdハウスは、たった8カ月の期間だったけど、ももと、tomadと、菅井が参入してくるっていう、なんか濃い人が残ったという感じがする」


―― そのあと、4thに引っ越すことになったきっかけは?


「家の限界。下が食べもの屋さんだったから苦情もあったし、追い出されるというよりかは引っ越さなくちゃだめだって。そのとき、一時メンバーを抜けてたじやぴんがハウスに帰ってきたっていうのもあって引っ越そうって。でも、ももはほんとうに引っ越すとは思ってなかった。かかる予算の額を聞いただけで、いや、無理でしょって。毎日みんな1日100円とかで暮らしているのに、どうやって引っ越すのって、嘘だろって。だけど、そのとき、ももは参加していない会議で、みんなが話し合ってたんだと思うけど、じやぴんが一生懸命動いて物件を探してきて、すぐに家の候補を3つぐらい決めて、3つのなかで、どこ引っ越すかみたいな。それで、じやぴんが、ここだろみたいな。そしたら、ある日突然、鍵ゲットしたからみたいな感じ。それで見に行って、やべーみたいな。気がついたらほんとうに引っ越すことになって、それがいまの家に引っ越した流れ」


―― お金はどうやって集めたんですか。4thハウスへの引っ越しのとき、ちゃんもも◎の胸元に口座番号を書いた写真をネット上に拡散させて寄付を集めていましたね。


「美術館への搬入の日雇い労働があるんですけど、毎日、そこにメンバー一同全員で行って、9000円もらって帰ってきたうちの、7000円を渋家にいれて、それを毎日1カ月間続けました。それと、みんな、どっかからお金を借りてきたり、自分のお給料の中から入れたり、あと、としくにがツイッターで口座を公開して『引っ越したいからお金を』みたいなことをやってて、それを見て、なんか、ちょっと一肌脱ごうかなと思って、文字通り脱いで、書いて、その写真を拡散しました。人の口座番号なんて普通は見てくれないけど、女の子が脱ぐと見てくれるじゃん。そこは自分のコンテンツ力だと思ってたから。ももは書いただけだから詳しく知らないんだけど、あれで、100万円ぐらい集まったって聞いた」


―― そうやって、4thハウスへの引っ越しをみんなで乗り越えたことで、メンバーとの距離が縮まったんですね。


「結束みたいな、やっぱ引っ越しを経験すると仲良くなるっていう、大変じゃん、引っ越しって。西台のアトリエに荷物を置きに行ったりだとか、持ってきたりだとか、うわーってすごい勢いで引っ越した。しかも、そのとき、お父さんが死んだ直後だったから、お父さんが死んで実家に帰ったり実家を引き払ったりと、やっとの思いで渋家に戻ってきたら『引っ越すぞ!!! お金が必要だ!!!!』みたいなモードになっちゃっててさ。『え――――――』って感じだったよね。だから、感傷には浸る暇もなく騙し騙し頑張れた部分もありますね。この頃のもも、本当に大変すぎて、あんま記憶ないもん」



はじめて書いた展示コンセプト

 『人間にとって本当の神は愛である』 


渋家が、現在の家・4thハウスに引っ越したのは、2011年7月。活動はさらに活性化し、当初20人ではじまった4thハウスは、現在35人にまでメンバーが増えている。渋家が全体で活動を行うとき、コンセプトとして打ち出すのは、そのときそのときのテンションで渋家にいちばん影響の大きそうなもので、それに乗っかって展示をつくるのだという。そして、4thハウスのいちばん大きな波は、確実にちゃんもも◎だった。初期渋家は「表現したんだけど、どう、表現したいのかわからないことを、本人的には、こういう出しかたにしました」という作品をつくり続けていた。この「余裕でアート」という流れを引き継ぐ存在が、ちゃんもも◎だったのだ。



―― 4thハウスに引っ越して最初の活動はなんですか?


「最初はあれだ、『pixiv_Zingaro』にボムりに行った。Webメディアの『KAI-YOU』が主催で、中野にあるギャラリーの壁に自由に絵を書いていいっていう、そういう展示をやりますってなって、カオス*ラウンジ周辺とか、遠藤一郎周辺とか、同世代のアーティストがほぼほぼ呼ばれているのに、渋家だけ呼ばれなかった。そんで『うち、呼ばれてねー』『これ呼ばれていないのおかしいでしょ』みたいなテンションになって、自由に参加してくださいって書いてあったから、初日に行って、もともと『KAI-YOU』とメンバーは顔見知りではあったから『何しにきたんですか』って訊かれて、『それはもちろん参加ですよ』って」


―― そこで、具体的に何をやったんですか?


「そこに、画家系の現代アートとか、アニメ絵みたいなのが、うわーっと描いてあって、その上から全部描き直したり、人が描いた絵の上に落書きしちゃったり。ももは、ばーっとボンド塗って『THIS IS ART』っていう、例の亀甲縛りの作品をばしばし貼って、菅井はペンキで描いてて、ほかにも普通に超上手に絵を描ける人もいて、有名な現代アート作品をパロって、ファック、みたいな感じで、それこそ怒られるぐらい、もうすごく渋家にしちゃって、そういうイタズラ的な。それはそれで、すごい素敵だったんだけど、でも、その日中に、上から白く塗られて、すっごいきれいになかったことにされた」


―― そのほか、ちゃんもも◎が関わったアート活動で主なものは何ですか?


「2011年11月の『トランスアーツトーキョー』。これは、それこそ『テラスハウス』に出始めたとき、ももの書いたコンセプトを完全に中心において展示をやりたいって話をされて、それで『人間にとって本当の神は愛である』っていうコンセプトと、絵とかを書いて、こういうふうにしたいっていうのを伝えて、それの具現化祭りみたいな感じだった。めっちゃでかい頭のとれたピラミッドみたいなものを2つつくって、その上にミラーボールをくりぬいて作った大きな目がくるくるまわっているとか、神殿的なものをつくったりだとか、植物が生い茂っている上に新しく撮ったももの写真作品があるとか、細かくプロジェクションマッピングを使ってとか、けっこういろいろ工夫した」


―― コンセプトを書くことは難しくなかったですか? 


「ずっと『作家になりたい』って言ってたし、3rdハウスのときに渋家のカタログみたいなものを自分たちで作りたいから、それに『文章を書いてもらえないか』って言われて書いたとき『すげーいいな』って言ってもらったり、文章が書けるのは知ってもらってたから、けっこうがっつり文章を書いて、展示場の入り口に貼った」


―― その文章へのまわりの評判はどうでしたか?


「ももがそのとき書いたのは、ざっくり意訳すると『人間と地球人は違う、我々は誠実な地球人でいたい。神様はいないし、世の中に出回っている神はつくられた神だ。作った神ではなく、自分のなかの愛を見つめたほうが誠実な信仰ができるはずだ』みたいな、そういうコンセプトというかステートメントで、その頃、よく渋家に遊びにきていた人が、そんときいろいろあって、新興宗教みたいなのにはまりそうになってて、お金を持っていかれそうになったりだとか、もう洗脳されてるから、うわーってなってて、やばい状況だったんだって。だけど『これを読んで洗脳が解けた。危ない所をほんと救ってもらった。もものステートメント読んで救われた。これを読んで良かった』って言ってもらった。作られた神っていう言葉に、あっ、ってなったみたい。あと、全く知らない人からも『良かったです』って言ってもらえたり」


―― どうして、こういう内容で書こうと思ったんですか?


「ももは、もともとスピリチュアルみたいな感じで、そのときはめっちゃニューエイジ思想にどっぷりだったから、それを中心につくった。神秘的な感じというか、宇宙と自然とみたいな。ももヒッピーになりたくて、ヒッピーとか、それからインディアンの思想みたいなのがすごく好きで、そういうのとか調べてて、それで、もものなかでニューエイジ思想が流行った。それをインディアンとかの思想にひもづけてっていう感じ。その頃、服装もヒッピーみたいな感じだったし」


―― 渋家がきっかけでアートに興味を持つというのは特殊だと思いますが、アートってどういうものだと思ってましたか?


「そもそも現代アートっていうものを知らなくて、それまで普通の学校しか出てないから、美術の授業で教わることがアートなんだって思ってたの。普通に考えたらアートって絵と彫刻じゃん。でも、ももは絵が描けないし、彫刻もできない。でも、そうじゃないんだって知って、ももにもできることがありそうっていうか、アートは、ももにもできるものって思った。表現を何の形にするかは、本人の自由だって思えたから、だからアートをやれてるって思ってるし、ももは完全にアーティストだと思ってる。美大に行くよりも渋家に入って、自分の身を持って見て、感じて、アートっていうものに思いを寄り添わせたっていう感じだから、ももにおいては美大生になるより良かったのかなって思った。それで、まわりを見たら会田誠さんとかがいて、月2万7千円なんて本当に安いですわ」


―― いま、アートっていうのはどういうものだと思っていますか?


「ありのままのもの、っていうのがアートだと思う。すごいやわらかい受け皿みたいな。表現したいことがありのままに出ていれば、それはアートだと思ってる。むしろそうあるべきだと思ってる。だから、さっき言った、やりたいこと、表現したいことはあるんだけど、その表現したいやり方が決まってないみたいな人には、アートっていう言葉は、とても便利だと思ってる。ほんと、受け皿でしかないじゃん。そのうえで何をやるかっていうことじゃん。ももも自分のなかで、自分の人生を言葉でどう説明していいかわからなかったの。でも、ひとつ言葉があってよかったなって、アートだからって人に伝えやすい。だからアートっていう言葉にすごい救われてる」


―― みんなもアーティストになったらいいと思いますか?


「それは、人によるんじゃない。アーティストとクリエーターは違うと思っていて、クリエーターは売れないと辛いと思うの。技術を売るっていうか、職人気質というか、クリエーターの人は自分のつくったものをお金にする必要があると思う。だから、本当にやりたい事は、クリエーターなのに、アーティストと名乗るばかりに、自分から表現をひねり出さなければいけないことに苦しんでいる人はいると思う。そういう人はクリエーターになってみたらいんじゃないかと、ぱっと感じている部分では、そうなのかなと思う。ももは、ももの生まれて、生きてきたなかでは、こうなるしかなくて、アートの道というか、表現する道しか進めないからやってるだけで、その人の人生によるから、こうなったほうがいいっていうのは全く思わない。稼ぎ方はどうやってもいいと思ってる。結果がお金になったら、それは嬉しいけど、渋家はお金にしようがないから。ただ渋家を沢山の人が知ってくれて、続けていけるだけで、ぜんぜん幸せ」


―― アートとの出会いは、人間関係や精神面にも影響を与えましたか?


「あった、めっちゃ大人になった。もうギャルっぽさ、皆無でしょ。渋家に来て、人間としてすごく成長したよね。いろんな人がいるし、いろんなことを許容することが出来るようになった。あと、自立した。それまで、人に頼って生きていればいいってずっと思っていて、そうやってしか生きてなかったんだけど、渋家は、自分でしっかりしないと、みんな簡単に見捨てるから。ももからすると、この家の人たちって本当に怖い。こいつとは話す価値ないなみたいな、価値がないって思われたらもう終わり。こいつ無理だなと思ったら、たいきとかもう露骨じゃん。そういう人たちだから、頼る面は、頼るけど、自分がしっかりしていかなくちゃなって思いつつ、ちょっとずついろいろあって成長して、それで、いちばんは『テラスハウス』に出る前に怒られて、それからが急速な成長を遂げた。もももあの後と前じゃ人が変わったなっていう実感がある。考え方が変わった」



『テラスハウス』直前の大喧嘩

「何がオーディション受けたいだ、ふざけんじゃねーぞ」 


渋家の「看板娘」として活動するなど中心メンバーとなった、ちゃんもも◎だが、4thハウスへの引っ越し直前、立て続けに起きた両親の死によって、引っ越し後のちゃんもも◎の精神状態は非常に不安定なものだった。メンバーからは「最近、ももとどうコミュニケーションしていいかわからない。本当は話したいことがあるのに」と不満がつのりはじめる。先ほどのちゃんもも◎の「渋家の人たちは本当に怖い」というの発言の意味は、渋家には多くのメンバーがいるため、話をしようと思ったときには、自分が興味のある人にコミュニケーションをとりにいく、そのため必然的に、興味がないと思われると、どんどん話す機会を失っていくからだ。そのため、このときのちゃんもも◎は、普通であれば、そのままコミュニケーションをとられなくなるが、メンバーのなかには、コミュニケーションがとれなくなっていく、ちゃんもも◎に不満を持つ人が少なくなかった。それは、これまで期待してコミュニケーションをとっていた期待の裏返しであり、たまりにたまった不満はやがて大きく爆発することになる。それは、くしくも渋家に「テラスハウス」への出演オーディションの話がきたときだった。



―― 「怒られた話」っていうのは話せますか?


「全然、まるっきり隠すことはない。そうとう喧嘩した。4thハウスに引っ越してからは、ももは看板娘だって名乗っていたんだけど、それはいいが、じゃあ、ハウスにどういうコスト割いてるのかみたいなところで、ももは自分の好きなように生きているばっかりで、渋家の良いところだけもっていくみたいな部分があった。ももは片付けとか泥臭いことは人任せだし、人とのコミュニケーションが雑であった。でも、展示があったら、じゃあ、そのパーティだけはオシャレして行こうかなとか、それで偉い人と仲良くなったりとか、そういう感じのことをずっとやってたんです」


―― なぜ、人とのコミュニケーションが雑だったんですか?


「そもそも引っ越してきてからの1年間が、ももの最クズ期だった。もも、渋家に来てからの8カ月間で、親が両方死んでるわけ、来て1カ月で母親死んで、その半年後に父親死にます、バタバタどころの話じゃなかったのよ、親戚とも揉めてたし、そんな中で引っ越しで、精神的にうわーっとなってて。それでやっと、引っ越したなって冷静になったときに、ものすごい途方もない、ああ、なんなんだ、ももの人生は、これから先、どうやって生きていくんだろうみたいな。渋家があれば生きていけるけども、ももって、もともと、何か手に職っていうタイプでもないから、別に何かやりたいことってのもないし、どうしようって病みます。そんな感じで全てに対して雑になりましたね。ももはこんなに悲しいことがあったのに頑張って生きているんだから、このくらいクズだっていいでしょ!!! って、めっちゃ甘えはじめた子供みたいな感じになっちゃったの。本当にそういう感じだった。としくにとか、けいたに対してはさ、親とは違うけど、ちゃんももという存在を生んでくれた人だなって親のように思っているから、ハウスが実家みたいな感じで、だから子供がすごく鬱になってダダをこねはじめて、兄弟がイライラしはじめるみたいな状況でした」


―― メンバーとのコミュニケーションは、どういう感じだったんですか?


「ももがみんなに話しかけて、やいやい言っても、すごい冷たいの。とにかく、みんなが、めちゃめちゃ、ももに冷たいわけ、それっていうのは、みんなで一致する、ももに対する不満みたいなものが膨れ上がっていたから、話しかけても、ふーん、そっかとかで、もももまたイライラしちゃって。それで、ツィッターとかにも『マジ、この家だりーわ』『渋家マジなんやねん』みたいな書いちゃうような人だった。それで、みんなもますます怒るでしょ。そのとき、ももは現実逃避で遊びほうけてしかいなくて、毎日、酔っぱらって帰ってきては、ハウスにいた酔っぱらいと喧嘩したり、ほんとうにひどかった」


―― 具体的には、どういうふうに怒られたんですか?


「そんな感じで、遊びほうけてたときに、いちばん最初に、じやぴんが、何回も、ももに『話そう』って言ってくれてたんだけど、じやぴんがそういうつもりで話そうって言ってくれてるとは気づきもしなくて、それが続いて、続いて、ちょっとマジなテンションで、たいき、じやぴん、としくににファミレスに呼び出されて『ももの今の状況はなんなの? 俺たちは、もう看板娘とか言ってほしくないし、もし渋家に何か取材がきたときに、今のももを渋家の顔として矢面に立たせようっていう気持ちにはならない』って怒る感じで言われたけど、すごく腑に落ちなくて、話し合いにならなかった。でも、なんか最終的には、お互いにすごくふわっとしたうえで、生活態度のことは改めるっていう感じでそのときはまとまった」


―― それで、生活態度は改めたんですか?


「『じゃあ、がんばります』って言って、ももはその日に、日頃のみんなへのごめんなさいを込めて、4000円ぐらいかけて、すごくおいしいカレーを作って、ふるまって、お片づけまできれいにやった。だけど、そのときハウスにいなかったメンバーがいて、もものあとに、としくにがメシをつくって片付けなかった食器を見て、また、あの女が! みたいに勘違いされて、それで、夜中に、前にももがツィッターに書いてたことを『てめーよくその態度でツィッターにあんなことかけたもんだな。キッチンも片付けねーでよ』って言ってきて、『えっ、なんで、もも片付けたよ』って、そしたら『ああ、なんだよ、じゃあ、俺が間違ってるっていうのかよ』って、『だから片付けたって、ももじゃないよ』って言ったんだけど、もう聞く耳持ってくれなくて喧嘩になって、もももけっきょくまた怒って『わかってくれねーじゃねーか、がんばる意味ねーわ』って、なっちゃったのね」


―― 最初の話し合いでは問題は解決しなかったんですか。


「それで、そのときに渋家に『テラスハウス』の話がきたわけですよ。それで渋家会議の日に話し合うことになったんだけど、ももは会議の日にバイトが入ってて『ごめん、ももバイトあるからいけないわ、だけど、テラスハウスはでたい』って、怒られた後なのに、ももは渋家会議よりもバイトを選んだの、全然変わってないわけ。さらに、その後、渋家会議に設定した日が『テラスハウス』の面接日に決まって、『だったら、バイト休んで、会議も休んで、テラスハウスの面接行くわ』って考えに至ったのよ。自分でも引くけど。そしたら、じやぴんからメールが来て、『もも、オーディション受けたい?』って、優しいメールだったから『うん、受けたい』って言って、そしたら『わかった』って、それで、ももは、ヤッター! って思ったの。それが甘い罠とも知らずに……」


―― 『テラスハウス』出演の話は、ちゃんもも◎ではなく渋家にきて、オーディションを受けることになったんですね。


「渋家会議と面接が同日ってこともあって立候補したのは、ももだけだったけどね。で、そのじやぴんからのメールがきた日の渋家への帰り道の階段に、2人座ってるの、誰かわからないから、とことことこって横を通り過ぎようとしたら、後ろから、『ももっ』って言われて、ぱっと振り返ったら、たいきと、じやぴんなんだけど、ももの顔を見た瞬間に、ものすごい剣幕で『てめーふざけんじゃねーぞ、このやろー』って。『おめえ、よくものうのうとこんなこと言えたな、何がオーディションうけたいだ、ふざけんじゃねーぞ』って、キレられました。たいきもめっちゃ怒ってて、それで、ももは、えっ、って唖然としちゃって、『いいって言ったの自分じゃん! なんで怒るんだよ!!!』って。そのときにはじめて、めっちゃぶつかったの、延々と大喧嘩。ももも怒鳴るし、それで、じやぴんもたいきも怒鳴るしって、それで、ほんとうのお互いにぶつかったというか、たいきが『これからの、ももが心配だ、このまんま誰にも注意されないまま、生きていったら、マジでヤバいよ。誰もいなくなっちゃうよ』って言ってくれて、ここまで言わせてしまったのも申し訳ないと思ったし、本当にその通りだと思って、やっと、なんでみんなが怒ってるのかわかった。ただのわがままと悲しいことを乗り越えた自分っていう自己肥大による甘えに気づけたの、やっと。なんのために、ももはハウスにきて感銘を受けたって言ってたんだろうって気づき、いろんなことを思い直し、めきめきめきとマインドセットが変わった。その部分をみんなに見直してもらうためには本気でがんばらなくちゃいけないなと。それで、渋家と全力で向き合って、努力するという気持ちを話した結果、実はとしくにが『渋家会議の日とオーディションをずらしてもらえませんか』って先方を留めといてくれてて、だから会議も出て、オーディションも出れるっていう、いちばん良い状況をつくってくれてたの! 会議に出席するために面接は諦めてたから、本当に涙が出そうなくらい嬉しかった!」


―― 意識の変化は相手にもすぐに伝わったんですか?


「そのときに『じゃあ、しばらくは様子を見るよ』って言ってくれたの。『ももが変わって、みんながどう思うかわからないし、それに対しては、自分で解決しなさい』って、それから『お茶しよう』って、メンバー1人づつ誘って、今までのことを謝ったり話し合ったりみたいなことをやって、それで会議に挑んだんだけど、その会議に出てる、ももの参加の姿勢とかを見て、としくにもびっくりしたって言ってたし、時間とともに信頼関係も取り戻して、晴れて『テラスハウス』も決まり、今に至る!」



ちゃんもも◎はいつまで

渋家にいるつもりなのか? 


渋家は、たまたま、個性的なスターティングメンバーが集まって、たまたま、ちゃんももが入ってきて、全部、偶然にすぎないが、そこまでを含めて作品としている。渋家発起人•齋藤桂太は「偶然に祝福される」という言い方を好んで使うが、渋家では「祝福された偶然」が起きるように、みんながそれぞれ最善を尽くしている。ちゃんもも◎に怒ったこと、あるいは、ちゃんもも◎がみんなに怒ったことも、なんとかコミュニケーションをとることで「祝福された偶然」をつくりだすための最善だったのではないか。そして、渋家はみんなが良い方向へと進んだ。そして、これからもそれを続けていく――。



―― 今後、入ってくる新メンバーに期待することは何ですか? 


「まあ、ももも歳をとったわけで、うちらはさ、もう、じじいとばばあみたいなものだから、できることがわかってるというか、自分のやるべきことなんてわかってるんだよ。そうじゃなくて、次世代への期待としては、ももは、まはるが入ってきたのが、ハウスに入って、いちばん嬉しかった。ほんとうにまはるを待ってた。まはるはね『自分が特別』ってわかってる女の子。ももは、まはるがやりたいことがあって、手伝えることがあれば何でも手伝うし、それを渋家がバックアップしてあげれば、それはお互いのためになるというか、まはるをバックアップすることで渋家は次のステージにいけるぐらい、すごく重要な人物が入ってきたなっていう感じ。渋家は出入りがすごく多いじゃない、残る人は残るし、出て行く人は、どんだけ、仲良くなっても出て行くんだけど、なかでも女の子ってのは、その面が超弱いの。ももが入ってからの3年間でも、女の子ってちょっとしたきっかけですぐに出ていっちゃうし、なんかそういう有象無象にまみれながらも、ものすごい上昇志向で、なんとか渋家と生きていってやろうっていう、気合いを持って生きていってる女の子って少ない。そうなってくると、もものなかではもう女の子じゃなくなっちゃうんだけど、そういう子は、ももと菅井しかいないと思ってた」


―― 女の子じゃなくなっちゃうってのは、どういうことですか?


「ももって女の子好きだけど、苦手じゃん。それは自分のことをあんまり女だと思ってないってのもあるけど、すごい特別視してるの。神聖であるべきだし、気高くあるべきだし、だけど、きゃっきゃしててみたいな。そうじゃない人はみんな苦手だし、だから、まはるは女の子だけど、女の子じゃない。人に頼って生きないっていう、まはるがなんとかすることでしか幸せになれない、人の幸せでは幸せになれないっていう」


―― いま、まはるちゃんには、どう接していますか?


「まはるは、すごく根っからのアーティストだし、活動面ではやっていることが違うし、そういう面では協力できないけど、ももとまはるは、すごく似ている部分があると思うから、人間関係の立ち振る舞いをアドバイスじゃないけど、人間関係のところで言えるところがあれば伝えてる。ももの経験上、それでいちばん苦しんだから。『人間関係を選ぶことは悪いことじゃない。まはるはやさしいから耐えちゃうけど、そんな必要はないよ』って、言いました」


―― 渋家の初期メンバーに対して改めて思うことは何ですか?


「端的に見てて思うのは、ものすごい奇跡的な確率で、あのスターティングメンバーが集められて、奇跡的になりたったというか、いちばん最初がいちばん大事じゃん。そこの奇跡が、次の奇跡を生んで、今のメンバーがいてっていう、やっぱ、たいきがいて、じやぴんがいて、それで、としくにが入ってきて、ふつう追い出されるべき最悪の人間を追い出さなかった、けいたがそこにいて、ほんとうに実力とは別の所でも奇跡が起きて出来上がったから、そこは真似しようと思ってもつくれないものだと思う」


―― ちゃんもも◎にとって、渋家というのは家族ですか?


「なんなんだろうね。でも、刎頚の友だと思ってる。誰かのために自分が首を切られてもいいと思ってる。この人のためには、別に死んでもいいなって思える相手ってあまりいないじゃん、それが渋家にはいるし、この人たちと心中できる覚悟ができてるっていうか、でも、死にたくないし、誰も死んでほしくないから命がけでがんばろ、みたいな。これが刎頸の友かってすごく思ったの。常に強く思ってる」


―― 『テラスハウス』に出て以降、ちゃんもも◎の活動は順調ですが、渋家を抜けて活動することは考えてないですか?


「『テラスハウス』から渋家に帰ってきてしばらく経ちましたが、いまはかなり恵まれていると思います。ですが、芸能人になりたくてやっているわけじゃないから、渋家を抜けることは考えてない。渋家という作品の一部が、いま、テレビに出れてます、みたいな状況だと思うから。渋家は家じゃん、家は動けないけど、ももは動けるじゃん。そういう感じかな。作品、渋家が生んだもの、生まれたものが活動してるっていうか、ももが売れたら、渋家もいっしょに売れると思うし、そういう感じ。ももは一生、渋家をやろうというか、渋家をひろめたくてやってる。あの場があるだけで救われる人っていうのがいっぱいいて、だから、この家は、この時代に絶対に必要だと思って、だから最悪、いまいるメンバーが全員家を出て、ももだけになったとしても続ける必要はあると思うし、もう住む住まないは関係なくて、ああいう人を受け入れる場所、それで何かが生まれる場所、本当に必要だと思う。それがあって、ももには渋家しかないし、全部かけてる、この家に」

Keita Saito Official

美術家/文化事業家/渋家株式会社取締役 齋藤恵汰