シブマガ Vol.2 掲載 | 100年後の渋家 (2)

入村証はICチップや静脈認証ではなく、指紋認証ですらなかった。私は居住区にも関わらず殆どセキュリティが無いことに驚いた。プライバシーの権利が確立され、あらゆる情報を管理することによって健康を目指す現代において、何も管理されない状態で、どこか敷地の内側に入ることは、ある種の酩酊を感じさせた。入村証を受け取った建物の入り口で受付の女性と話す神崎さんを置いて、私はガレージの外の受付から、ふらふらと外に出た。建物の前の道路まで出ると、私の方に初老の男性が歩いてくるのが目に入った。

「おかえりなさい」

私は目の前まで歩いてきた男性に突然そう言われて驚いた。どこかで会ったことがあるだろうかと考えながら会釈すると、彼は目を細めながら言葉を続けた。

「私の祖父は、この場所が生まれた当初から、ここに住んでいました。生存における技術革新のあった当時、彼は70代でまだまだ元気でした。彼は写真を撮影し、人々が作る様々なカレーにコメントすることをライフワークとしていました。かつて、今のように人生が無限であることを夢見る社会でなかった頃、世界にはライフワークという概念があったのです。彼は自分が滅びゆくライフワーカーの末裔であることを知っていました。そしてそれは、とてもポジティブだと語っていました。あらゆることはルーティンであり、無限は夢見るしかない状況であるからこそ、私の生はポジティブなのだ。それが彼の口癖でした」

私が何も言えず黙っていると、背後から神崎さんの歩いてくる気配がした。男性は神崎さんの方を見ると、ああ神崎さんの、と言って更に言葉を続けた。

「私は石田といいます。私は私のライフワークとして、日々ここを訪ねてくる人たちを見つけると、こうして祖父の話をすることにしています。祖父の写真は現代のデバイスからは見られなくなってしまった、古いネットワークに残っています。もしよろしければお見せしますので、また後ほどお会いしましょう」

彼はそう言って、くるりと背を向けると、4 catsと書かれた看板のかかった家に入っていった。私は慌てて、ありがとうございます、と声をかけたが、聞こえるほどの声量にはならなかった。

「ここの住人たちは、ぶっきらぼうに見えるかもしれないが、多くの人が集まって暮らすための知恵を保存していると思うんだ。たぶん会話が唐突に始まり、唐突に終わることも、無関心さの表れではなく、むしろ気遣いだと思っている。少し驚いたかもしれないが、後ほど石田さんの家でも訪ねれば、よく来たねと迎えてくれると思うよ」

横まで歩いてきた神崎さんは、男性と私との遣り取りを見ていたらしく、そう言った。

「しかし、石田さんの家は隣じゃないですか」

私は素直に思ったことを口にした。

「例えば私たちの住んでいる家の横に別の人たちが住んでいたら、私たちは常にビクビクしながら生活することになるだろうし、あるいは後ほど会おうなんて面倒なことはせずに、コンタクトネームを交換して好きな時に話しかけると思うんです。なぜ彼らは、そんな不健康でコストパフォーマンスの悪いことをするんですか?」

神崎さんは目を細めながら呟いた。

「さあね、それは私も知りたいところだ」

神崎さんと一緒にしばらく、かつて住宅街であった町並みを歩いていると、どこからか何やら音楽と共に、叫び声とも唸り声ともつかない奇妙な声が聞こえてきた。私が驚いて周囲を見渡し怪訝な顔をしていると、神崎さんが笑いながら言った。

「あれはかつて、音楽と『うた』が奇妙に組み合わさっていた時代の産物だよ。今みたいに音楽や『うた』が機能性ばかりを追及しない時代があったんだ」

現代において「うたう」ことは、スポーツやトレーニング、エクササイズの一つである「うた」か、楽器としてサンプリングされ加工される「こえ」へと明確に区分されている。そして「うたう」ことは一人で取り組むべきものであり、「うた」と音楽を組み合わせることは芸術性を下げるとされている。

「あれは芸術でもなく、健康でもないとしたら、何を目指しているんですか?」

ここに来てからというもの、私の頭はデバイスに問いかけできない疑問で溢れそうだ。どうやらその音楽と「うた」は、スナックカルロスと書かれた看板の家から漏れ聞こえているようだ。

「それは聞いてみるより他にないね。とりあえずあそこに行ってみようか」

私の疑問に答えることはせず、神崎さんは私をスナックカルロスへと促した。

齋藤恵汰 - made by 渋家 and 渋都市

美術家/文化事業家/渋家株式会社取締役 齋藤恵汰